永遠の五歳児

アウトドアで遊んで子供心を大切にするブログです

Qちゃんを形成するもの(音楽編④)

 皆さんこんにちわ~

 

Qちゃんです。

 

BOØWYが6年間という短い時間で

 

日本で最高のバンドに駆け上った時代。

 

他にもたくさんの素晴らしいバンドが存在しました。

 

前回の記事に登場した「ブルーハーツ

大友幸平さんがボーカルの「ハウンドドック」

小室哲哉さん率いる「TM NETWORK

BARBEE BOYS

REBECCA

米米CLUB

などなど

そうそうたるメンバーです。

 

その、凄いバンドが名を連ねる中、

RED WARRIORS

というメチャ熱いバンドをQちゃんは好きになりました。

 

ルシアン・ヒルの上で

が最も有名でしょうか!

 

Qちゃんが大好きだった曲は

バラとワイン#2 -Club Version-

 

彼らのセカンドアルバムである

「CASINO DRIVE」の最後を飾る曲です。

 

バラとワイン

もシングルとしてリリースされていますが

乗りの良さが全く違い、納得できる笑い話もあります。

 

 

ボーカルの田所豊(ダイヤモンド☆ユカイ)さんが

アルコールを引っかけて

レコーディングしたらしいんです。

 

是非、この2曲は聴き比べてほしいですね(^^)/

 

結局、

日本の真面目な文化にこの曲は受け入れられず

シングルとしてヒットすることはありませんでした。

しかし、この能天気な曲を

 

全く無理せず!

嫌味もなく!

純粋な気持ちで!

違和感なく歌ってしまう!

 

RED WARRIORS の最大の魅力であり

渾身の一曲です。

 

バラとワイン#2 -Club Version-

せめてバラの香りとワインをグラスに注いで

とびきり素敵にOh Happiness

King Sizeのベットで月夜にウィンクしながら

I love you so  

I love you so

 

イントロ♪が流れてくると、未だに鳥肌物です。

 

Qちゃんの女性に対するスタンスを決定づけた曲といえます。

 

バラとワイン#2 -Club Version-

 

の詩の内容を未だに夢見て

 

追いかけているQちゃんがいます(#^^#)

 

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

 

Qちゃんを形成するもの(音楽編③)

皆さんおはようございます。

 

Qちゃんです。

 

GWも後半戦、土日で終了です。

 

Qちゃんは殆ど外に出なかったんで

五歳児らしくないGWになってしまいました(笑)

 

今回のGWは部屋の中でやるべきことが沢山あったし、

このブログでの自己紹介も進めることができました。

 

それなりに充実したGWでした(*^^*)

 

さて、Qちゃんに影響を与えた音楽についてですが

高校生になると、バンドブームなるものが訪れました。

 

Qちゃんの友達は

ブルーハーツ」のコピーバンドしてました。

電車で友達のライブを観に行ったりしたこともありました。

 

で、そのバンドマンの友達に紹介されたのが

BOØWY

マジでカッコよかったですね!

ボーカルの氷室京介さんと

ギターの布袋寅泰さんは人気を二分していました。

 

Qちゃんは氷室派ね♪

 

CDとDVDは全て買ったかな!?

 

BOØWYに関しては説明いらずだと思いますが

アルバムに入っている曲すべて好き。

 

BOØWYとしての活動は短く、だからこそ解散宣言や

最後のライブになったLAST GIGSは日本中に衝撃を与えました。

 

 

当時のヤンチャな男子たちは、改造車のボンネットに

BOØWYのステッカーを必ず貼ってました。

           

Qちゃんが好きな曲は上げえばキリがありませんが

わがままジュリエット

CLOUDY HEART

FUNNY-BOY

MEMORY

BABY ACTION

1994 -LABEL OF COMPLEX-

DREAMIN’

他にいくらでもあるんですが1曲挙げるなら

DREAMIN’

ですね。ライブの最後にボーカルの氷室京介さんが

 

「夢を見てるやつに送るぜ!」

 

と叫んで歌いだします。

 

今でも車を運転する時はBOØWYを聴いてます。

 

BOØWY90年代の本格的バンドブームの先駆者であり

多くのバンドが「BOØWYに憧れて」

とメディアで発言しています。

 

解散後も彼らの活躍は皆さんご存知のように

現在でも音楽界に多くの影響を与え続けています。

 

ソロになってからも

氷室京介さんと布袋寅泰はそれぞれが大ヒットを飛ばしています。

しかし

BOØWY時代の曲を超えていないように思えるのはQちゃんだけでしょうか?

 

Qちゃんの中では

 

作詞 氷室京介

作曲 布袋寅泰

 

このコンビが最強だとおもうからです。

 

願いが叶うなら1日限定でもいいから「再結成ライブ」を観てみたいです。

 

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

Qちゃんを形成するもの(音楽編②)

皆さんおはようございます。

 

Qちゃんです。

 

皆さん音楽に影響を受けることがあると思いますが、

 

純粋に1曲の「歌」

に影響を受ける場合と

 

歌っている人「歌手」

に影響を受ける場合の

 

2通りあるように思います。

 

今回はQちゃんが影響受けた

歌と歌手の両面から、過去を振り返ってみたいと思います。

 

子供の頃・・・

あんまり思い出せません(笑)

 

やっぱりアニメソングですかね!?

子供の頃に流行っていた歌を後から効いて好きになった

というのはありますがそれはまた後ほど。

 

中学校の頃・・・

この頃はアイドル歌手全盛期でしたね。

Qちゃんは野球部の同級生たちが聞いていた

チェッカーズ」や「安全地帯」等を聴いていましたね。

 

初めて歌手と歌の両面から好きになったのは

 

長渕剛さんでしょうか。

 

当時の長渕剛さんは瘦せていて、髪も長く、声は女性の様な透き通った声でした。

恋愛をメインに歌っていました。

このころ「順子」が大ヒットしました。

 

ドラマにも良く主役として出演されていて、

家族ゲーム」「親子ゲーム」は大好きでした。

 

好きな曲は挙げたらきりが無いんですが

 

自分の中では

 

「ホールド・ユア・ラストチャンス」

「ステイ・ドリーム」

 

この2曲は未だに自分の大切な曲です。

 

 

特に「ホールド・ユア・ラストチャンス」

はQちゃんが皆さんにおススメ出来る最高の曲です。

 

NHKのドラマ「まんが道」の主題歌になりました。

ドラマの内容も素晴らしく主役の竹本孝之さんが歌っていました。

 

聴いた瞬間好きになったQちゃんは

 

「曲」長渕剛を確認して「やっぱり」と思いました。

 

当然、即CD購入です。

 

ピアノのイントロから長渕剛さんが歌いだすと更にこの曲を好きになりました。

詩の全てに共感できます。

未だに共感できます。

 

二度と走れぬ坂道を上ったらホールド・ユア・ラストチャンス

 

中学時代にQちゃんを励まし、

未だにQちゃんを後押ししてくれる素晴らしい曲です。

 

で、Qちゃんを形成してしまったのもこのころ

長渕剛さんが主演を務めたドラマ

家族ゲーム」「親子ゲーム」がかなり大きいと言うわけです

 

良い意味でも、悪い意味でも(笑)

 

現在はだいぶ風貌も体系も変わってきた長渕剛さんですが

そのパワーは全く衰えを知りません。

 

これからも日本を元気づけてほしいですね(*‘∀‘)

 

次回に続きます。

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

 

 

 

 

Qちゃんを形成するもの(音楽編①)

皆さんこんにちわ~

 

Qちゃんです。

 

スポーツが観ている人に与える影響って凄いですよね。

 

Wカップでは戦争まで一時ストップしたり。

 

特に日本人にとって団体スポーツ、チームスポーツは

 

競技者として日本人の身体、性格に合っているし

観戦者として日本人の文化、心に響くんだと思います。

 

今、行われている世界大会のチームスポーツに対して

観ている日本人の気持ちは一つになります。

 

「頑張れニッポン」=「勝ってほしい」

 

観戦している人が

一つの事を考える訳ですからそのエネルギーは凄いですよね。

 

 

 

で、坂本九さんの

上を向いて歩こう」も

 

全世界で歌い継がれ、凄いパワーを持っています。

が、

そのエネルギーはスポーツのそれとは違うと思うんです。

 

あくまでも

 

上を向いて歩こう」 対 「個人」

 

歌を聴いている本人のみ何を思っているのか?

 

例えば上を向いて歩こう」なら

「くじけす頑張ろう」

という応援歌のイメージですが

 

人によっては

 

・遠く離れた海外から日本を思う歌かもしれません

・誰かを思い出し涙する歌かもしれません

・故郷を思う人もいるでしょう

・当時の自分を振り返る人もいるでしょう

・挫折から再起するきっかけになった人もいるでしょう

 

「音楽」は聞いた人の数だけ想いがあると思うんです。

 

時代背景が詩に込められていたり良くありますよね。

 

特に日本の歌にはいろいろな言い回しだったり、意味だったり詩のの中に

外国語を入れてみたりと。

 

Qちゃんもやっぱり音楽は大好きです。

 

ずっと音楽に励まされてきたように思います。

 

五歳児であるQちゃんは単純なので

「音楽」の影響で形成された比重は大きいです。

 

 

次回はQちゃんが影響を受けた音楽について書いてみようと思います。

 

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

 

Qちゃんを形成するもの(スポーツ編③)

皆さんこんにちわ~

 

Qちゃんです。

 

前回②の続きにります。

 

今思い出したんですけど、

そういえばQちゃんが入学した時は外の部室前の

トイレは水栓トイレではなくて、

いわゆる「ボットン便所」というやつですね。

 

このボットンの「溜池汲み」も経験しましたね。

 

朝練の後の授業前に( ゚Д゚)

 

当然、女子から白い目ですね(^-^;

 

その他には

「ジュース買ってこい」・・・

中学校下の駄菓子屋の自販機で500ミリのビンジュース購入指令

 

「見張ってろ」・・・

日曜の練習、監督が二日酔いでマフラーの壊れた外車で登場するのを

先輩たちに知らせる。

 

Qちゃんは見張り多かったですね。体が小さかったのと声が大きいので。

 

マジできつい野球生活だったので各小学校のミニバス精鋭たちも

結構な数が夏休み前に辞めていきました。

 

でも妙な仲間意識が出てきたり、憧れの選手が出来たり、

下手くそなりに一生懸命野球していた覚えがあります。

 

憧れといえば

Qちゃん達ミニバス経験者のヒーローUさんが

2年生にして既にチームの中心的存在で輝きを増していました☆

 

当時のうちの野球部3年生は過去最高レベルの強さで県大会出場は当たり前でした。

 

その3年生のレギュラーがひとたび群の陸上競技大会に出ると

 

他校の陸上部の専門選手を押しのけ

100m、200m、400、400mリレーとほぼ独占してしまう強者集団。

 

そのメンバーに2年生で一人加わり一番の光を放つUさん!

 

カッコよかったですね(*´▽`*)

 

結局、過去最高と言われた3年生たちも県大会途中で敗退してしまいました。

 

Uさん学年は

Uさんが左のエースで4番。

ミニバスのQちゃんの小学校のキャプテンが主将を務めたんですけが、

やっぱりワンマンチームで地区大会途中で敗退してしまいました。

 

Qちゃんの学年といえば・・・

・人数は多いが小粒

・ピッチャーは2枚看板(つまりエースがいない)

・チームワークはあるがみんな野球センスは?

 

な感じで地区大会2回戦敗退でした。

 

野球をやってた時ほぼ辛いことしかなかったんですが、

 

一番体がデカくて一番愚痴の多かったI君が

最後になった試合の5回裏あたりから泣き出したのはビックリしました。

 

結局、7回あたりからは全員泣きながらの試合になりました。

 

結果はボロ負けでしたが終わった後は監督も含め皆泣きました。

 

チームスポーツには

「みんなの為に頑張る」という要素が多分に含まれています。

 

それが

「人の為に」

を美徳とする日本人をより感動させる要因なのだと思います。

 

結局、憧れのUさんは

俊足、好打で県内で有数の高校球児となりました。

プロ野球に行くと思っていましたがドラフト候補止まりでした。

 

Uさんがヤンチャじゃなくて

もっと野球の有名校で

真面目に野球に取り組んでいたら

プロ野球で活躍していたと今でも思っています。

 

Qちゃんの野球人生

憧れの人はそんなカッコいい人でしたね☆

 

Qちゃんの高校時代?

 

はい(*‘∀‘)

学校さぼってパチンコしてましたぁ(^-^;

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

Qちゃんを形成するもの(スポーツ編②)

皆さんこんにちわ。

 

Qちゃんです。

 

今日は暑くもなくスポーツ日和ですね♪

 

前回の続きになりますが。

 

昭和の時代に田舎の野球部!

もう軍隊そのものでしたね。

 

・頭は五厘狩りでみな真っ青

 

・一年生は帽子を与えられずに日焼けで頭の皮がむける

 

・水は飲めないけどホースの水を掛けられ体はびしょ濡れ

 

・雨の日の朝練は毎回サッカーボールを使ったラグビー

 ボールを持った先輩に近づくと水たまりに投げ飛ばされる

 一時限目びしょ濡れで授業を受ける

 

・部室はあるが中に入れるのは殴られるときのみ

 

・顧問の先生はやーさんと呼ばれ超恐い。

 

 

他にも今ではあり得ないしごきの数々・・・・・

 

これはQちゃんの中学校だけではなく、

当時の田舎の野球部はどの学校でもこんな感じだったと思います。

 

そんな苦しい練習の毎日でしたが、

たまにコッソリ息抜きもしていました。

 

まぁ軍隊式なんで

先輩や監督から色んな指令が出るんですけど。

 

一日数回発動されるボール集め指令だけは嬉しかったですね。

 

Aコース(裏山に行ったボール探し)

Bコース(土手から落ちたボール拾い)

 

仲間と休める(*‘∀‘)

Aコースなら更にテンションアップ!

見えないから暫く戻らなくても怒られない(*'▽')

 

ある日の出来事。

 

Qちゃん以下、数名の新入生にBコース

(土手から落ちたボール拾い)が

発令されました。

 

Qちゃん達は

Aコースが発令されるまでには戻ろう!

そうすれば2度おいしい(*'▽')

 

そんな会話をしながら山際の土手を降りていきました。

 

すると・・・

土手の草むらに清水が流れてるではありませんか(*´▽`*)

 

「これは飲める!」

 

Qちゃんは自信たっぷりに宣言しました。

 

流れを上流に追ってみると明らかに山に向かっていたからです。

間違いなく清水が沸いていると確信しました。

 

「良し!念のため草をむしって濾過して、上の綺麗

な水だけ飲もう!」

 

清水をたらふく飲みました。

 

入部依頼、練習中に初めて味わう水はサイコー!(^^)!

しかも天然水(*^^)v

 

その時、新入生の一人がボソッと呟きました。

 

「なんか清水のわりには温くねぇ?」

 

Qちゃん一言。

「沸いてるの山だから。距離ケッコーあるっしょ!」

 

ボール集めが一通り終わり、

Tシャツの裾を丸めてボールを沢山抱え

清水沿いに土手を上がって行きました。

 

グランドに戻る前に、ふと足元に目線を落とすと

たらふく飲んだ源泉を見つけてしましました。

 

山に登ってないのに源泉?

 

 

なんと壊れたU字講から流れる排水でした・・・・・(-_-)

 

一斉に「おぇ」(ノД`)・゜・。

 

 

 

Qちゃんを形成するもの(スポーツ編③)に続きます。

 

でわでわ~(^_-)-☆

 

 

 

 

Qちゃんを形成するもの(スポーツ編①)

皆さんおはようございます。

 

Qちゃんです。

 

今回はスポーツについて考えてみたいと思います。

Qちゃんは小学校のの時、ミニバスをしてました。

 

生徒数の少ない小学校でしたから、直ぐにレギュラーとして試合には出ていました。

 

自分の学校の中ではかなり動ける子だったので

チーム内でも2番手くらいの選手でした。

 

小学校のミニバスでも年に2回くらいは全国大会があります。

 

Qちゃんの学校は町内大会で敗退するレベルで

ミニバスをする同年代100人の中で既に自分の限界を感じました。

 

 

当時、隣の小学校の1学年先輩にヒーローUさんがいました。

 

左利きのキャプテンにしてスーパーエース

 

しかも超イケメン( ゚Д゚)

 

うちのキャプテンがメラメラとライバル意識むき出しで向かっていっても

何時も軽くあしらわれていました。

 

ヒーローUさんの小学校は伝統的にスポーツが強く、

町内大会の次の群大会でもそれなりに良い成績を挙げていました。

 

優勝するようなチームではありませんでしたが、Uさんだけは

地区大会の参加チーム全体でも一番輝いてました。

 

どちらかといえば、Uさん独り次元の違う

ワンマンチームだったので県大会には進めませんでした。

 

Qちゃんは当時から、やらされてる感があり、

6年生の町内大会で敗退した後の夏休みにやっと遊べると

喜んでいた記憶があります。

 

 

中学校に入学すると部活見学があります。

 

「柔道をやれ!」

がQちゃんの父親の口癖でした。

 

出来たてホヤホヤの武道館に新入生が呼び出されたとき

「柔道部が出来たら入りますか?」

という先生の質問にQちゃんだけ手を挙げた覚えがあります。

 

結局、柔道部は顧問の先生を設けることが出来ず、

Qちゃんが柔道をすることはありませんでした。

 

そうすると、うちの中学校の当然の流れとして

野球部に入部することになります。

 

町内の小学校でミニバスレギュラーの8割は野球部に入部していたからです。

 

 

 

さてQちゃんの朝飯の時間になりましたので続きは後で。

 

 

でわでわ~(^_-)-☆